3.
「……どこ……あるの……かな」
抜け出した宿舎の様子が何となく気になって、振り向いた時だった。
あたしの目線の先に、一人の女の子の姿が割り込んで来る。
「……とりあえず、先に……」
カメラのノブを巻く音が聞こえた。なら、あたしと同じ目的なのかも知れない。
何か、落ち着いちゃうな。自分勝手な事してる奴は何もあたしだけじゃないんだって、うまく言葉には出来ないのだけど――"仲間"が居た時特有の安心感とでも言えばいいのだろうか。
「こんな所で、何、してるの？」
興味を持つには十分な理由だった。髪染めてあからさまに反抗期してるお方にはさすがに近付き難いけど、うまい具合にその子はあたしの良く知っている子だったのだ。
「え……あっ！」
驚き様から、まだあたしには気付いていなかったらしい。
とりあえず、"ただのクラスメイト"と言う表現がぴったりに思えた。
好きでもないけど嫌いでもない。話さないけど話せない事もない。出席番号が織り成す"み"行の縁、って奴だ。
「……えっと」
打ち解けるどころか、今晩はの挨拶すらかけてくれそうにない"水瀬さん"の態度は、自分を観る目を冷静な目線に戻してくれた。
「ごめん。いきなり迷惑……だった？」
謝罪と言う形で、あたしは彼女に投げた無粋な言葉の責任を取ろうとする。
返事は無かった。その代わり水瀬さんはあたしと向かい合ってた顔を俯かせる。
強引に押すばかりで、勢いだけの空回りした言葉が、わざとらしく聞こえてしまったのだろうか？
「――そう、だよね。こんな時間に外うろついてる不良に、いきなり仲良くされたくないよね」
今も一人で喋っちゃってるし、余計な事ばかりしか言えないのなら、いっそ沈黙の方が良かったのかも知れない。
「あの……」
ここまで来て何を言われてしまうのだろうと考えると、まず何よりも好奇心があたしの心に台頭してくる。
「こんな時でも堂々と構えてられるのって、すごいと思います。……わたしなんてダメですから。部屋のドアを出てからずっと足が震えて、お買い物一つさえろくにこなせないんです」
「え……？」
押してばかりのあたしが、肩透かしを喰らって、見事手に土を付けられてしまった気分だ。
「あの、すみませんっ。困りますよね、いきなりこんな事言われても……」
余計な言葉なんて、変に気張った態度なんて、必要なかったのかも知れない。
あたしは出来るだけ素直に、水瀬さんの言葉に応えてみる。
「枕投げはやるなって言われてるけど、ハッキリ"外に出るな"とは言われてないわよ」
先生達にとっては、言わなくてもそんなの常識だろって感じなんだろうけどね。
単なる揚げ足取りに過ぎないんだけど、何度もタテに首を振ってくれてることから、少なくとも目の前の女の子一人には納得して貰えたようだ。
駐車場脇の道路を通る車。もちろん宿舎とは全く関係ない通りすがりなんだけど、たまにこちら側をヘッドライトの眩しい光で照らしていく。
"今のあたし達、脱走者ってイメージがぴったりだね"と、そのヘッドライトをコントとかでよく見かける丸いサーチライトに例えてみたら、くすくす水瀬さんは笑っていた。
ようやくマトモにお話できたかな、って。別段友達作りが趣味じゃないあたしでも、少し嬉しくなった。
そんな、ひとつのキッカケが、またあたしの口の滑りを良くする事になる。
「で、どうして今時分買い物なんか？ さっきのカメラは？」
また、調子に乗ってるのかも知れない。少し仲良くなれた事にかこつけて。
だけど、それが何よりも気になったあたしは、質問を投げかける口を塞ぐ事が出来なかった。
「"見付かっても適当に理由付ければ、真面目なあんたなら疑われる事ないでしょ"って。カメラは、せっかくだから夜景とか撮っておきたいかなって……」
「理由になってないような、なってるような……」
あたしも目一杯夜景を撮り溜めたクチなのに。自分の言葉を濁すのが嫌だったから、わざとその事には触れないでおいた。
「えっと……わたしは、ただ頼まれただけですから。"お友達"に」
「頼まれた……？ この世には随分酷い事する友達が居たものね」
水瀬さんの部屋割、出来る範囲で思い出してみる。
すると、運良く大体の人は思い出す事が出来た。いや、多分運が良かった訳じゃないと思う。
「そんな、ひどいことでもないと思いますけど……あの、ジャンケンに、負けたから」
明らかに"嫌なの"がいたから、ここだけは一緒になりたくないって。そう言う意味で印象に残ってたからだろう。
「ジャンケン？ それじゃ、何出して負けたの？」
その"嫌なの"と、水瀬さんが仲良かったような印象はない。
だから、あたしは適当にカマをかけてみた。本当にジャンケンみたいな対等な条件で済ませられるような仲なのかって。
「えっと、パー……かな」
「そんなの、初めからやってないんでしょ？ ……部屋割りで大体予想つくし」
何出して勝ったかなんて、答えられる方が不自然だ。
もちろん、本当にパーを出して負けたんなら謝ろうと思う。
「……誰かに訊かれたら、そう言えって」
下手なカマかけておいてなんだけど、こうも簡単に口を割ってくれるなんて。
"嫌なの"からいい様に言い包められてしまうのも、何となく解ってしまうような気がする。
「頼まれたんじゃなくて、それってただのパシリだし。普通嫌でしょ？ そんなの断ればいいじゃない。ただ同じクラスなだけの関係で、アゴで使われてるのよ」
"あたしだったら耐えられない" そんな再三主観の入った意見だった。
「あの……えっと、その"パシリ"って、何なんですか？」
そりゃ、確かに乱れた言葉だとは思うけど。知らないって言うのも結構珍しいよね。
何となく、水瀬さんの立場に立った自分を想像してしまったからか。腹の立っていたあたしは、思い切り皮肉を込めて説明してしまった。
「パシリって言うのはね、一種のしつけ。要するに犬にボールくわえて戻って来るよう教え込むのと同じ。言う事を何でも聞く位従順になるまでね」
「で、でも、わたしのこと"友達"って」
煮え切らない彼女の態度を見てると、言葉に反して煮え湯を飲まされたような気分になる。
「友達な訳ないでしょ？ 自分の立場に幅利かせて、下をいいようにコキ使うのが友達だって言うのなら、さぞかし身分で上下ハッキリしてた江戸時代は平和だったでしょうね」
"士農工商" そんな覚えたての単語を振りかざして、あたしは彼女に尖った言葉のメスを突きつけた。
ほんと、ヤな、言葉。
だったら言わなきゃいいのにね。今更"後悔"しても遅いけど。
「いきなり、そんなこと言われたって……せっかく友達になったばかりなのに……」
「だったらあたしが友達になってあげる」
それは、自然と口をついて出た言葉だった。――理由？ 余計な後悔なんかするより、前向きな言葉で償いたかったから。
一時の感情に対する責任を、少しでも取りたかった。
平気な顔してクラスメイトを蔑む"嫌なの"よりは、余程好きになれる人間だよって。そう自己主張したかった。
『いっそ、友達でも作ってみようか？』
「居ないよりマシ程度なら、保証出来るわよ」
「ほ、ほんとう……ですかっ？」
「武士じゃないけど二言はないわ。……ぶしつけだけど、これからも宜しくね、水瀬さん」
よく言う"旅の恥はかきすて"なのか、歯の浮くようなセリフが、次々と出て来てしまう。
「あり、がとう……」
あたしと、常に適当な距離が置かれてた水瀬さんが、少しだけ近付いてきてくれた。
（栞以外で、こんな笑顔を見るのは、久し振りかも知れない――）
そんな彼女に、色々と、言いたくなってしまう。
突貫工事で作った、友達に。あたしが抱え込んでたこと全部。
「正直あたしもさ、一人ぼっちでこの旅行来るの……嫌だったんだ。大切な人を残してまで」
「大切な人……？ もしかして、恋人さんですか？」
「ううん、もっともっと大切な人。水瀬さんにもそう言う大切な人、いるでしょ？」
「はい。お母さん……とか」
「あら、"お父さん"はいいの？」
言いたくないかも知れない事、答えてくれて嬉しかった。
だから、あたしはお父さんが抜けてる事に"冗談で突っ込んでみた"
「……はい」
水瀬さんは、笑顔で答えてくれた。
まるで、"そのことを聞いてくれてありがとう"とでも言わんばかりに。
裏を返せば、お父さんは大切な人じゃないと、そう笑顔で答えたのだ。
「……それ、って」
「いいんです。もう……"忘れちゃった"ことですから」
……忘れた？
それは、本心からの言葉？ 自分を産んでくれた人への言葉？
どんな理由があるのかは知らない。だけど、少なくともあたしは反感を覚えた。
"体裁を繕う"って事をようやく覚えられたせいか、ナマの感情を前に出すような真似はしないで済んだのだけど。
「それじゃ、わたし、頼まれた物の買出しに行ってきます」
「え？ でも、それは――」
「一度した約束は、どんなものでも守らないといけないと思いますから。ちゃんとお金も貰ってますし」
なるほど、それは確かに筋が通っていると思えた。大切な人と交わす約束も、"嫌なの"と交わす約束も同じ約束……
やっぱり、あたしには出来そうもない事だけど。そんな価値観を持てる水瀬さんが少しだけ羨ましく思える。
「わかったわ。それじゃ、あたしもついてく」
「え、っ……でも」
「あたしも、ちょっと小腹が空いただけよ。もうここまで来たら何しても変わんないし。それに……」
「それに……？」
「何でもないわ。行こ、来る時バスからたまたま見えたんだけど、この駐車場出たちょっと下にコンビニあったはずだから」
あなたという存在が出来たから。
……そんな言葉は、さすがに口が裂けても言えないわよね。
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