4.
「にしても、随分都合いい所にコンビニがあったもんねえ……」
両手のひらを後頭部に回し、そのまま腕を上げて背伸びしてみると、只でさえ涼しい夜風が一層心地よく感じられる。
お風呂に入った後の散歩だから、気持ちよさは尚更だった。
「毎年毎年、先生達がいかにも愛用してそうなトコですよね。だから毎年この宿舎とか」
「ありそうな話ね。あたし達が寝た後に宴会とかしてそう。明日からはお守りで大変だろうし」
駐車場を降りてすぐにある、大きめの国道。信号なんて気の利いたものは近くに無かったから、偶に通る車に気をつけながらコンビニのある向こう側へと渡る。
「わたし達みたいな悪い子もいますし」
と同時に、水瀬さんからの何気ない突っ込みにあたしは冷や汗を垂らす。別に峠攻めてる車が突っ込んで来た訳じゃないんだけど、ね。
「残念ながら、何も返せないわ……」
仕方なかった。言い訳なんて思いつかない。あたし達は本当に悪い子だって思う。
「わたしも、悪いコトだって言うのはわかってるつもりです。でも、約束をやぶっちゃうことの方がもっと嫌だから。嬉しかったんです、人に頼られるのって」
そこが街灯下だったからか、水瀬さんの表情は、欠ける事なくあたしの眼に映った。
複雑な人の表情なんて良く解らない。精々見分けがつくのは、喜怒哀楽に代表される最低限の感情くらいだ。
その時の水瀬さんは、紛れも無く笑顔だったと思う。
場の雰囲気を壊さない為明るく振舞う外の感情。色々とゴタゴタしてる内の感情。その辻褄が合わなくなったせいで溜め込まれたストレスが実際の行動となって現れてしまう。
マナーの欠片もないドライバーからの贈り物である、道端の空き缶。丁度歩きながらの場所だったので、そのままあたしは蹴飛ばしてしまったのだ。
からんころんと乾いた音を立てて転がっていくそれを見て、あたしは少しだけ気を落ち着けた。
無理して蹴るつもりもなかったし、物に当たってどうこう言うつもりもなかった。だけど、やっぱりこれも悪い事なのだ。
その証拠に、立ち止まった水瀬さんが、缶の先を目で追っている。あたしに注意する事も無く、わざわざ立ち止まって転がるのを見る、ただそれだけ。
それは、あたしに"このままじゃいけない、拾っておこう"と思わせるには十分な仕草だった。
「――あ？ 何コレ」
缶を拾おうと目線を先に向けた時、語調の荒い声が聞こえて来る。出来れば関わりたくない部類の声だったが、あいにくそれはあたし達の目指すコンビニの方から聞こえてきたのだ。
「見て、アイツらじゃない？ 何かムカツクんだけど」
「……んなのホっとけって。山道走って疲れてんのに」
「だってさ、もう少しでバイクに当たるトコだったんだよー？」
「無視、ね」
足がすくみかけている水瀬さんに、あたしは耳打ちした。
「何ヒソヒソやってんの？ ヤバいってコイツら」
「ヤバいんだったら最初から関わろうとすんなよ……」
派手に、缶が踏み潰される音がした。あたしはなかなか動こうとしない水瀬さんの腕を引っ張る。
「あ、のっ……」
それでも、彼女は声を掛けようとする。恐らくは謝罪なのだろうが、そんなの付け込まれるいい口実になるだけだ。
あたしは手綱を引き絞めるようにしてコンビニの方へと誘導した。宿舎の部屋でぬくぬくしてる"嫌なの"、今目の前にいる"変なの"――もうこれ以上"無駄なの"には関わるなって。
（……っ！）
なるべく見ないようにしていた、店前でバイクに腰掛けてる"そいつら"の脇を通り過ぎた時、突然肩を後ろから掴まれてしまう。
「いくらなんでも、無視っていけないと思うんだけど」
それが、半端に声の低い男の言い分だった。あたしは反射的に手を振りほどく。そうすると、案外楽にその手はあたしの肩から外れてくれる。
顔なんか見たくないから、振り返ったりはしない。女の子連れでバイクどうとか言ってたから、大体どんなのかくらいは予想つく。
両手で口を抑え、目線の定まらない水瀬さんの姿があった。……あたしから、いつの間にか手を離してしまっていたらしい。
あたしは水瀬さんの肩を引き寄せ、小声で囁く。
「……先、店入ってて。無理して戻るより人居た方がいいでしょ」
あたしの指示を聞いて、すぐさま水瀬さんは店の中に入った。妙にごねたりしないでくれた事が、不幸中の幸いって奴かも知れない。
"あたしのせいで起きたごたごたに巻き込む訳にはいかない"
それは"友達"として、最低限のルールだと思うから。
「一人行っちゃったんだけど」
「いいって、あっちの女の子は謝る気あったみたいだし。で、問題はこっち」
ここまで来ても、あたしは後ろを振り返らない。
見たってしょうがないし、そんな奴なんて。アタマの片隅にも残したくない。
「無視すんなって言ってんですけどー」
ケラケラ笑いながら振りほどいた肩をもう一度掴んでくる。
多少の恐怖はあったが、本気で頭に来ていたので、大して怖くは感じなかった。
「完璧無視ってるね」
「んー、確かに。こりゃ頭来るわ」
それは、自分の方も同じだった。
いい夜景に出会えて、水瀬さんとも出会えた。せっかく良いと思え始めたこの旅行を、この一瞬で全て台無しにしてくれたから。
「さっきから煩いんだけど」
次に出したセリフに、後悔は無かった。
「……あ？」
「煩いって言ってるの、聞こえませんか」
相手の口数が少なくなったのをきっかけに、あたしは肩に乗せられた手を振り払った。
鼻をつくヤニ臭さ、デリカシーの欠片もない行為、1cmも鼓膜を揺らしたくない肉声……
見るどころか五感全てがそいつらを拒否してるんだけど、仕方なくあたしは後ろを振り返る。
「さっきの缶が可愛がってるバイクに当たって傷でも付きましたか？ それならこれでどうぞお拭きになって下さい」
ポケットからさっきのぞうきんを取り出し、振り向いた先にいた男に向けて投げつけた。
目線に入った"そいつら"は、どちらも髪の色だけで言えば典型的な人達だった。
二人とも大して背は高くない。男の方ですら160cm前後のあたしとどんぐりの背比べである。これで最後まで燻っていた"男の図体"への恐怖は綺麗さっぱり無くなった。
あたしの言葉一つ、何も言い返せず押し黙っている。過ぎてく意味の無い時間。となれば、これ以上関わり合う理由もない。
多分、そいつらにとっては一番ムカつく事してるんだろうけど、今更怖がる理由なんてどこにもなかった。
何事も無かったかのように、そいつらを背にしてあたしは店内へと入った。
水瀬さんが雑誌コーナーのガラス越しに恐る恐るこちらの様子を伺っている。あたしは自動ドアを抜けて、いの一番に彼女の所へ駆けつけた。
下らない事で迷惑を掛けちゃって、本当にごめんなさいと、謝る必要があったからだ。
レジに居たのが、サボり癖のある雑談好きの店員で良かった。
何も、ごたごたとか起こさないでいられたから。
「――ごめん。でも、何であんなのってどこ行ってもいるんだろうね。こんなトコまで来て……最低」
一言頭を下げた後、しつこく店先にいる"そいつら"の姿を疎ましく思いながら、あたしは水瀬さんに愚痴を吐いてしまった。
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