メインの財布は部屋の荷物の中だけど、使い勝手のいい様ポケットに入れてあったサブのがま口。わびしいその中身と相談しつつ、適当にその辺のお菓子を見繕ってみる。
あたしがお菓子を選んでいると、水瀬さんも肩を並べて"頼まれモノ"を買い物カゴのない右手に蓄えていく。
さっき吐いたあたしの愚痴に、水瀬さんは何も言葉を返してくれない。
あたしの方も不愉快な出来事をこれ以上引っ張るつもりは無かったし、ただ『そうだよね』と一言返してくれるだけで十分だったのだけど。
その返事があるまでは、せっかくの女の子二人のショッピングなのに、何も声を掛けられない。
ちらちら窓から様子を伺う。せかしいバイクの音がした後、まだ少し様子を見てから――あたし達はレジへと向かった。
外に出てみると、あいつらのせいで殺伐としてたのが嘘のように、周囲は元の雰囲気へと還っていた。
あたし達の雰囲気だけが、さっきと、違う。
ガードレール越しに、脇を車が通り過ぎていく。
「虫の音、すっごく綺麗だと思わない？」
久し振りに、声を聞いてみたかった。
それは、さっき知り合ったばかりの友達の声。あたしを不快にさせる声とは、程遠い存在。
次に車が横を通れば話し掛けよう――他愛もない事でも、きちんとキッカケにはなってくれるんだね。
だけど、そんな自分の考えとは裏腹に、水瀬さんは沈黙を保ったままだった。
宿舎へ向けて足を動かす事だけが、今のあたし達の間での共通事項。
「ね、何か喋ろうよ……」
「どうして、さっき、あんなことしたんですか」
その共通事項すら、なくなってしまった。
足を止めた水瀬さんが、会話を遮る様に後ろから言葉を放つ。
「あんなの、絶対におかしいって思います」
変な沈黙が、あたし達の間に流れた。
「どう言う事、なの？ あたし、もしかして悪い事した？」
何、だろう？ 何かおかしいよね。違和感あるよね？
それって。今、あたしが水瀬さんに言われてる事って……"違う"よね？
「謝るべきだったと思います。だって、最初に缶を蹴ったのは……」
「確かに缶を蹴ったのはあたしよ。だから責任はあたしが取ったでしょ？ 大体謝るなんて、あそこでそんな事したら、どうなるか解って言ってんの？」
草むらからの"自然の音"に混じって、あたし達が発する"不自然な音"が辺りに混じる。
虫たちにとってみれば、オーケストラ聞いてる時に口も抑えずゴホゴホされるのと一緒なのかも知れない。
「でも、それは、ちゃんと謝ってみるまで……」
「只でさえ女の前でカッコつけたい男がね、そんな事で収まりつく訳ないでしょ！？」
あたしは、浮かんでくるヤな言葉を振り切るようにして、足を動かした。
それから、ワンテンポ遅れて聞こえてくる足音。"まだ"、辛うじてあたしについてきてくれているみたいだった。
「男の子、ってだけで、そんな決め付け……」
「男だから決め付けられるのよ。最近の暗いニュース見たってそう。原因のほとんどが男じゃない」
「そんなの関係ないです。みんながみんな、テレビに映ってる人と同じな訳ないです」
「……何でも謝ればいいって思ってる。それで済めばいいと思ってる。そんなだから、あんたの部屋にいる奴等にも都合いいようされちゃうのよ」
意見、を言われている事には気付いていた。だけど、あたしはそれには答えない。そのまま自分勝手な意見を続けた。
相手側が沈黙したと同時に、とても醜い言葉が喉の奥からこみ上がってくる。あたしは口を閉じる事なくそのまま放り出した。
覚えたての体裁云々を綺麗さっぱり忘れてたのは、このどうしようもない不愉快のせいだろうか？
「一番近い存在が"居なくなるような"お父さんだもんね。男の事なんてちっとも解ってないから、そんなこと――！」
肌に止まった蚊を、思い切り叩くような音がした。
あたしの頬に、イカヅチに打たれたような激痛が走る。
そこは日に焼けた訳でもないのに赤く火照り、ジンジンとやり切れない痛みをあたしに伝えた。
「わたしのことなんて、いくら悪口言ったっていいです。でも、でも……！ 知らない所で"かんけいないひと"の悪口言うのって、最低じゃないですか……！？」
「……なら、どうしてその"かんけいないひと"の事で、"関係ない"あなたから平手打ちが飛んでくるのよ。――すごく痛かったわよ！？ 本気ではたいたとしか思えないくらいにね！」
感情的な言葉には、同じく感情的な言葉を返す。典型的な短絡思考だった。……頭に血が上ってた事を言い訳にでもしようか。
「そ、れは、陰口はいけないことだって……思ったから……」
「違うわ。いっぱしの偽善者ならともかく、こんなに感情むき出しになる事の出来る人なんて。そうまでして擁護したいと思える人なんて普通そんなにいない。
出会ったばかりで、まだお互いの事何にも解らなくて？ タメ口さえきけない。それでもあなたはあたしに感情をぶちまけた。どんな人にでも"最低二人"は居るだろう大切な人の為にね」
「……わたしには、そんな……」
「いるわよ、お母さんとお父さん。誰にだっているはずの"家族"。あたしは二人よりもう少し多いんだけどね、いくら人数が増えても大切に想ってる事にはなんら代わりないわ」
「あ……っ」
「そんな、そんな半端な覚悟で忘れたなんて言わないで。"忘れたことですから"って、覚えてるわよさっきの言葉。
そんなに寂しいんならさ、こんな所にいないで、家でお母さんと一緒に"お父さん"が帰って来るの待ってたらいいじゃない」
カッコつけて風流を楽しむ時はいいけれど、そんな心の余裕なんてない時に虫の声聞かされたって、正直うざったいとしか思えない。
かと言って草むらに"ちっとは黙ってろ"なんて叫ぶ訳にもいかないしね。
しばらくの沈黙の後、言い放った。妙に間をタメたのは、こんな時でも言葉を選んでる自分がいるから。
「どんなに、どんなに大切なモノだってね、すぐに消えていなくなるのなら"最初から居ない方がどれだけましか"――あなたにはわからないのよっ！」
言葉を選んだ末、キーワードを出す事なく言いたい事を言えた。
――嫌だったんだ、妹の名前を出して"どっちが悲しいか比べ"になってしまう事は。
自分の言葉でまた嫌な気持ちになるんだろうな、とか思ってたけど。"案外全て吐き出してしまった後の爽快感は大きいって事を実感出来る"
一歩、二歩、歩き出してみた。
何の音もしない。
感情に負け、嫌われて当然の事をしてしまったんだから、口をきいてくれないのは当然だと思う。
だけど、こんな所で突っ立ってる訳にはいかない。あたし達は宿舎に、また規律の中に帰らないといけないんだ。
振り返って謝りもせず、ボーっとでくの棒して。何やってんだろうあたし。
「――何やってんの？ こんな所で。早く行けば」
何、この声。もしかして先生――にしては、ちょっと言動がおかしい。
丁度、真後ろ辺りから聞こえて来る声。水瀬さんがいるとすれば、多分その声の辺りになるのだろう。
あれこれ考えず、あたしは後ろを振り向いた。誰が喋ってるのか、それで起きてる事を理解するには十分だと思ったからだ。
「……あ……」
後ろに見えるコンビニの後光で、僅かに形作られる人影。
水瀬さんが居るべき所に、何か、居る。おかしいよ。……誰、この人？
「多分ないと思うけど、キレた男は何するかワカんないよ？」
上手い具合に、対向車線からライトをつけた車が近付いてくる。
その結果、黄白色の淡い輪郭に周りを縁取られ、"誰か"の人影は更に強調されてあたしの網膜を突き刺した。
「あんた、まさか……」
ようやく口を開く事が出来た。その"誰か"に対して。
水瀬さんよりも短い付き合い、いや、付き合いなんかとはとても言えない巡りあわせ。
"誰か"解っても、名前も知らないんだから、誰かとしか表現出来ない人。
乱れた制服姿で、いかにも生活を予想するのが簡単な人。
「さっきはどーも。あ、ちなみに私もう……」
「どうして、どうしてあんたがこんな所に立ってるのよ！？」
状況が理解できない苛立ちと、水瀬さんの事と、二度と会いたくない奴に会ってしまった事と。
そんな複雑な感情を吐露するには、大声を出して目の前の"誰か"に当たるくらいしか、あたしは思いつかなかった――
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